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次号予告・インディ・ジョーン ズのことなど

相変わらず、発行の遅いメルマガ、更新の遅いサイトで申し訳ありません。
順番に行くと次回のサムエル記のお話は、なんとあの「契約の箱」が隣国との戦争の際に敵に奪われてしまうという大事件を扱うことになります。

が、その前にこの「契約の箱」について簡単に特集号をと思って、現在準備中です。
この「契約の箱」、映画「インディ・ジョーンズ 失われたアーク」の印象が強いかなと思いまして、DVDをレンタルしてきて見返したのですが、、、頭かかえてしまいました。
米国のようなキリスト教文化圏なら、聖書にはどう書かれているか承知の上で「こういじってきたか」と映画を楽しめたのかもしれませんが、あまり聖書に馴染みのない日本ではどうだったのかなぁ。
その辺も次回で触れたいと思ってます。

サムエル記3章

先週ようやく、本当にようやく、サムエル記の続きをメールマガジンで配信し、今日Webサイトに公開しました。応援メールをくださった方、ありがとうございました。
サムエル記一3章~4章1

ところで、最終的にはメルマガとWEBの両方からカットしたのですが、今回参考にしたある注解書で引用されていたタルムードの一節が興味深いものでした。

ラビ・アキバが死んだ日に、ラビが生まれた。
ラビが死んだ日に、ラブ・イェフダが生まれた。
ラブ・イェフダが死んだ日に、ラバが生まれた。
ラバが死んだ日に、ラブ・アシが生まれた。
これはあなたに、義人は他の等しい義人が生まれるまではこの世を去ることはないことを教える。「日は昇り、日は沈む」(コヘレト書1章5)と言われるとおりである。エリの太陽はサムエルの太陽が昇るまでは沈まなかった。「神のともし火はまだ消えていず、サムエルは寝ていた」と言われるとおりである。

チベット仏教におけるダライ・ラマの継承のような考え方ですね。

これはあくまでも、あるラビの解釈で(「タルムード」は「研究」という意味)、聖書の言葉としてこうあるというものではありません。
ただ、エリが肉体も老い、祭司職を継がせなければならない息子たちの教育にも失敗し、という心身ともに打ちのめされたような状態で、それでもヤハウェはエリ自身の命を取り上げたり祭司職を取り上げたりはしなかった。それはもしかしたら、サムエルを訓練し育てるという役目のためだったのかなと思いました。

「義人は他の等しい義人が生まれるまでは」ということでは、エリがサムエルほどの義人かは意見が分かれると思います。ただ、祭司エリから預言者サムエルへ何らかのバトンが渡されたとは言えるのではないでしょうか。そして同じようにバトンが渡されたのが、ルカ福音書2章22以下のシメオン翁とキリストではないかと思うのです。

福音書をまとめたルカ自身も、シメオンがキリストであるイェスと「等しい義人」とは考えなかっただろうと思います。それでもシメオンについて[この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。]と高く評価しています。
このシメオンは[主がつかわすメシア【キリスト】に会うまでは決して死なない]との神託を受けていて、実際におさなごイェスに会ったときに歓喜の賛美を叫んだわけです。あのシメオンの賛美に、「預かっていたバトンを次の(そしてアンカーである)選手に渡せた」という喜びを見出そうとするのは、深読みしすぎでしょうか。

念のためですが、上記の引用はタルムード、つまり口伝律法にラビたちが詳細な解説を付したものです。
タルムードは「ユダヤ教の聖典」と紹介されることもありますが、ユダヤ教では(そしてキリスト教でも)聖典とは「神の言葉」で、人間であるラビが付した解説を含むタルムードは、重要な書物ではあっても「聖典」としての権威は認めない(ラビの権威は認めるとしても)というユダヤ教の宗派も少なくないそうです。

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サムエル記上2章後半

サムエル記一2章の後半について、「聖書を読んでみよう」Webサイトに公開。
脂身が好きなメタボとしては、エリの息子たちが脂肪を私したかったのもわかるような。。。

これでちょうど100エントリーになりました。
今上陛下ご即位20年の記帳に行ったはなしとか、アジア・メシアニック・フォーラムのこととか、書こう書こうと思ってることがどんどんバックログに積み上がっていく。。。

遅ればせながら、今週からアドベントに入っていますね。教会暦はアドベントから一年が始まりますから、、、
あけましておめでとうございます to クリスチャンのみなさま。
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サムエル記一2章1-10

メールマガジン「聖書を読んでみよう」189号を配信しました。
Webサイトにもサムエル記の第3回として公開しています。

今回は有名な「ハンナの祈り」の箇所。下手に細切れにするよりはと、全文を引用した上で最小限の注釈を付加しました。

ところで、NHK教育TVで平日早朝に放映されている「日めくり万葉集」という番組が好きでよく見るのですが、男女の別も、身分の上下もなく、私のような素人にもすばらしさがわかるような歌が万葉集にはたくさん納められています。高貴な人たちはそれぞれの身分なりに手ほどきを受けていたのでしょうけれど、ごく普通の庶民の歌も多く採録されているんですね。
ハンナですとか、あるいは後代のマリアなんかが、どれくらいの教養があったかはわかりません。ただ、万葉集の「普通の人たちの作品」に触れると、当時のイスラエルもごく普通の人たちが自然に歌を作れる文化だったのだろうかと想像します。
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サムエル記1章

WEBサイトにサムエル記の解説の第2回を公開しました。
サムエルの誕生から、2章のハンナの祈りまでをと思っていましたが、いろいろ詰め込みたくなってしまって1章までとなりました。

サムエルの父エルカナについて「万軍の主を礼拝し」とあるのが、「万軍の主」という呼び方の初出でした。
私自身「万軍を率いる主君」という印象がどこかにあったのですが、この「主」はアドナイではなく神聖四文字なんですね。出身教会の大先輩(文語訳世代)が、暗誦するとき「万軍のエホバ」と言っていたのを思い出しました。

サムエルという名もそうですが、聖書の語呂合わせ(これこれの理由で、この人名・地名になった、のたぐい)は、カタカナで書いて字面を並べてもどこが語呂合わせだかよくわからないものが多いですね。繰り返し音読してみてやっと「あ、発音にてるかも」にたどりつけるように思います。

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