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高校講座 物理「電気の技術と半導体」

NHK教育の高校講座。意外とおもしろくて、ときどき(深夜とか日中の放送が多いので)録画しては見ています。なかなかバカにできません。
好みは「日本史」「世界史」「地学(宇宙の場合)」「地学(中東の場合)」あたりなのですが、普段は見ない「物理」の2009年6月12日の放送が「電気の技術と半導体」。理系はてんでダメな私ですが、まがりなりにもコンピュータでメシを食ってるのだしと、チェックしてみました。
講師は学芸大付属高教諭の川角博。

金属など、電気を通すのが導体。
プラスティックなど、電気を通さないのが不導体。
その中間的な性質であるのが、半導体。外からのいろいろな条件(たとえば温度の変化))によって、電流の流れやすさが大きく変化するもの。

半導体であるシリコンに、電子が一つ多いリンをほんの少し加えてN型半導体を作ったり、電子が一つ足りないアルミニウムをほんの少し加えてP型半導体を作ったり、それを組み合わせて電流の流れる方向をコントロールできるとか、ダイオードの整流の仕組みとか、トランジスタの増幅の仕組みとか。
勉強になるというより、「どういう人が、こんな工夫を思いつくのだろう」と感心してしまいました。
こういう話だったら私もとっつきやすかったかもしれないなと思いましたが、「こういう話」に行く前に「理系?苦手!」になってしまったのでしょうか。

高校講座はどの科目も毎回、3つのポイントがまず紹介されます。物理の今回の放送ではポイントの3つ目が「中途半端が役に立つ」でした。「半導体っていうのは、電気の流れやすさという性質がコロコロかわる、という意味で、まあ中途半端というわけなんです」とのこと。
番組の最後のまとめでは、
「(導体や不導体に比べると)この半導体というのはとても不安定な物質で、かつては扱いにくい物質だったんですね。ところが逆にいうと、これはとても敏感な物質だということなんです。これをうまく利用したんですよね。」
とのこと。熱を与えるなどで敏感に「電気の通りやすさ」が変化する性質が利用されている半導体は、言われてみれば確かに敏感な物質と言えますね。
ところが川角教諭は、不安定で扱いにくかったのが実は敏感という話を、さらにおもしろいところへ展開したのです。
「ところでこのことは人間にも言えるんじゃないかと思うんです。皆さんの中には、たとえば多くの人の中に入ると、ドキドキしてしまってうまくコミュニケーションがとれないなんていうことはありませんか?でもそれはあなたが敏感だからなんですよね。で、必ずですね、その敏感さが役に立つときがきます。ですので自信を持って、この人生を歩んでください。」

川角教諭が語りかけた「皆さん」というのは、視聴者として想定される高校生のことなのでしょうけれど、四十路オヤジの私に話しかけたのかと思ってしまいました。すごく上がり症で人見知りするものですから。油断していたというのもありますが(これが道徳とかの番組だったら、私は斜に構えて視聴したでしょう)、なんか、グッときてしまいました。
番組の冒頭でナレーションが「この物質が携帯電話やパソコンなどに使われ、とても重要な働きをしているのです」と紹介した半導体。身近なところから始まって「you were precious」に行くとは。教育テレビ、あなどりがたし!


※ 「you were precious」は、英訳聖書の言葉。ある邦訳聖書では「(神であるわたしの目には)あなたは高価で尊い。」と訳されています。

教育テレビ「見える歴史」で小学生に媚韓教育

NHK教育TVの、小学高学年向けの日本史の番組「見える歴史」。
森の大木「ジョーモン」が、女の子「ミライ」に昔語りするという人形劇を中心に、ていねいでわかりやすい番組です。
ミライの声はベッキー。これに語りかけるジョーモンの声が、緒方拳のゆったりした深みのある声というのも、いかにも「歴史をずっと見つめてきた古木」という感じですてきなのです。
緒方拳が亡くなってからの作成分ということになるのでしょうか、フクロウの「オキナ」がミライに語る回もあります。ジョーモンの次くらいに物知り、というこのオキナの声が津川雅彦だというのも、いかにもフクロウらしくて素敵なのです。現在は津川オキナの新作と、緒方ジョーモンの旧作を、とりまぜて放送しているようです。

ところで番組中、「とびマル」というキャラクターが3択問題を出すコーナーがあります。毎回わりと勘所となる話題をクイズにしているのですが、2009年6月2日に放送された「北条時宗~元の大軍にどう立ち向かったか~」の回では、元が日本攻撃に使った新造船およそ900隻はどこでつくられたでしょうか、という問題でした。
答えはもちろん朝鮮半島。とびマルはさらに「フビライは 当時 朝鮮半島にあった 高麗という国にまで勢力を のばしていた。その高麗の人々に命令して 船をつくらせたんだ。せめてきた兵には モンゴル人だけでなく その高麗の人々も たくさん加わっていたんだ。」と説明。
元の日本侵略に朝鮮が加担していたことを、NHKが子供向け教育番組で取り上げるとは、と驚きをもって感心しました。
ところがトビマルは「フビライの命令で いやいや戦わされた人も いたかもね。」と付け加えたのです。

韓国ドラマで商売しているNHKとしての、ビジネスパートナーへの配慮かもしれませんが、「元の日本侵略に高麗が貢献したのは事実だけど、高麗には何の罪もないんだ」と子供たちに思わせたい、というのが露骨でした。
この番組で秀吉の朝鮮出兵を扱うときには「いやいや戦わされた大名もいたかもね」と言ってくれるのでしようか。そうでないなら、誰にとっても嫌な言葉だと思いますが媚韓としか言いようがないです。

いい番組だと思っていたし、日本史好きとしてもこれからもちょくちょく見たいとは思うのですが。なんと言いますか、変に警戒しながら見ることになってしまった気がします。

クリスチャンの三昧発得(教育テレビ「法然を語る」より)

NHK教育の「こころの時代-宗教・人生」の枠で今年度「法然を語る」が始まっていますが、法然上人という方には前から少々興味がありました。自力で自分を救うのではなく他力に救っていただくという考え方に、キリストの福音に通じるものを感じるのです。もともとは親鸞上人に興味を持ったのですが、親鸞上人の先達の(素人としてはそう理解している)法然上人についてということでチェックしています。

BLOGに書こうと思ったのは、第二回となる5月の放送で語り手の町田宗鳳教授(広島大学大学院)が口にされた「三昧発得・さんまいほっとく」という一言が印象に残ったからです。その場ではあまり詳しい説明にはならなかったのですが。
前に「三位一体」の誤字としてよく出てくる「三昧」という言葉については調べたことがありました。梵語サマーディの音訳で、何かに対して精神的に深く没入することを意味します。よく「遊興三昧」などといった使い方もされますが、他を忘れて一心にということですから、非建設的なことに使うのはあまりふさわしくない言葉のように思います。…生活が破綻しかねないほどアソビに没入するなら、ありかもしれませんが。
で、三昧発得というのは、念仏三昧を通して浄土を見るということのようです。「ようです」というのは、三昧発得とはどういうことかを素人にもわかりやすく解説しているサイトが意外と見つからずよくわからないのです(観相とかの言葉がもうわからないもので)。それで今、法然上人に関する本を図書館で借りてきて読み始めているのですが、とにかく法然上人は念仏三昧を通して、深い深い宗教体験をなさったということですね。

宗教にはいろいろな要素がありますが、何より強烈なのは教義より戒律より理論より体験でしょう。それが逆に判断を誤らせてカルト宗教にハマることもあるほど、目で見たもの、体で感じたものは説得力を持ってしまう。人がなんと言おうと自分は体験してしまっているのですから。
私が三昧発得という言葉に反応したのは、キリスト教にも「神を体験する」あるいは「聖霊体験」「イエスに出会う」という言い方があるからかもと思います。「イエスに出会う」は「聖書をとおしてイエスとはどんな方かを知る」という意味でも使われますが、ダマスコ途上のサウロさながらにイエスを体験したという話しを聞くのも珍しいことではありません。
この体験という話しになると「見ないで信じる者は幸いである」というイエスの言葉を引いてくる牧師やクリスチャンもいるのですが、聖書はむしろ「見たから信じられた」という人たちの証言の方が多いのですね。
私はまだそうした「体験」はないし、体験を求めてしまうのは「しるしを求める悪い時代」のようだとも思います。
でも聖書だけが私をイエスに導く手引きなのだから、体験を求めるのではなく聖書に没入することで体験に至ることを求めるなら、それは「しるしを求める」というのとは違ってくるのではと思うのです。つまり「聖書三昧による発得」ですね。浄土宗でも、三昧を発得することがお念仏の目的なのではなく「求めずして、おのずから得られるもの」ということのようですし。
三昧という言葉を使えるほど聖書にサマーディできるかというのがまた課題ですが。法然上人にとって念仏とはなんだったのかを考えてみることは、私にとって聖書の御言葉とは何なのか(何であるべきなのか)のヒントになるのではという気がします。

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