スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ヤコブの会

このBLOGは「ヤコブの会(仮称)」に参加しています。
「ヤコブの会」はネット上のサークルのようなものです。といっても、「ヤコブの会」に参加しているのはこのBLOGだけですけど。「劇団ひとり」ならぬ「サークルひとり」ですね、今のところ。
このサークルの目指すところは「日本を愛するキリスト者の意見交換の場」です。

ここでいうヤコブは、新約聖書のヤコブ(James)つまり十二使徒の「ゼベダイの子ヤコブ」や「小ヤコブ」や、「主の兄弟」のヤコブではありません。旧約聖書のヤコブ(Jacob)つまりアブラハムの孫、12部族の父、神からイスラエルという名をもらったヤコブです。
創世記47章7「ヤコブはファラオに祝福の言葉を述べた。」にちなんで名づけました。

ファラオは、太陽神の息子にしてホルス神の化身であるとされ、エジプト人から礼拝を受ける者、「神の民」からすれば「生きた偶像」というところです。
しかし「神の民」であるイスラエル翁は、偶像そのものであるファラオを祝福しました。なぜ祝福したかはわかりませんが、祝福したことは事実として聖書に記録されています。

日本人キリスト者として日本と向き合うときに、「ヤコブがファラオを祝福したように」という視点を持つならどうなるだろうか、ということを考えてみたいと思っています。
あるいは、日本宣教というものを、「パウロがアテネ人の偶像礼拝を否定せず、むしろ彼らの篤い信仰心を賞賛した上で、アテネ人がまだ知らない神をのべつたえたように」という視点を持つならどうなるだろうか、と。
さらに、日本人クリスチャンであるということについて「神の御計画の中で日本人として創造された」という視点を持つならどうなるだろうか、と。

今のところ「ヤコブの会」は仮称です。「アレオパゴスな会」(アレオパゴスの、ではなく)でもよかったかもしれない。「分け合う、共有する」という意味のギリシャ語をもじって「コイノニ屋」なんてのも考えたのだけど、これはちょっとくだけすぎか。まあ、もしかして誰かが「一緒に」と手を挙げてくれたら、名称はそれから考えます。
「サークル」のあり方も含めて。SNSやメーリングリストでもいいのですが、同じ考えの人だけで固まることはしたくないので、あまりクローズドなものにはしたくないなと。「朝日新聞だけ読んで鵜呑みにするクリスチャンの集まり」とかたまに見ますが、そういう風だと伸びシロが小さくなると思うので。だからといってオープンすぎて荒らされるのも困るのですが、まあそういう心配は誰かが手を挙げてくれてからにします。

バナナはおやつに入りますか?

このBLOGは「ヤコブの会(仮称)」に参加しています。

え?
「ヤコブの会」って何かって?
BLOGに「バナナはおやつに入りますか」なんて名前つけて、何をしようとしてるのかって?
管理人は何者かって?
…そんなこと訊いてないよって?

えと、まずこのBLOGの作者は「日本人クリスチャン」です。詳しい人物像まで興味を持ってくださる方は、gooでやってる「布屋忠次郎日記http://blog.goo.ne.jp/nunochu」や、「布忠ドットコムwww.nunochu.com」をごらんください。(以上、宣伝でした。)

このBLOGでは、日本人としてクリスチャンしているときに(あるいは、クリスチャンとして日本人しているときに)でくわすいろいろを考えてみたいと思ってます。

「質問するまでもなく当たり前」と思っていたことが、実は人によって答えが違う、というのはよくある話ですね。ある生徒は、バナナはおやつに入ると思っている。別の生徒はバナナはお弁当に入ると思っている。遠足のおやつは300円までと言われて、誰かが「バナナはおやつに入りますか」と質問した時に初めて、「当たり前」が人によって違うこと、いろいろな意見がありえることが、共通認識になる。
そんなことが、社会にはいくらでもある。で、キリスト教の中では特に「世の常識は教会の非常識」とか「教会の常識は世の非常識」なんていったりするくらい。
でもそこで話を終わらせるのは、「バナナはおやつに入ると思う人だけ」「入らないと思う人だけ」で固まることなんじゃないかなと。
日本人として、そしてクリスチャンとして。ただの日本人でも、ただのクリスチャンでもなく「日本人クリスチャン」として。日常おもうことなどについて「バナナはおやつに入るんですよね?」と、あるいは「入らないんですよね?」と確かめたいのです。

Template Designed by DW99

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。