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一番好きな聖書箇所

聖書を経典と考えれば、その中のどこが好き、どこがきらい、というのはおかしなことかもしれません。一冊で聖典、正典なのだから、「女性の権利を主張するのに役立つ箇所だから好き、反戦平和の観点から扱いにくい箇所だからきらい」というのではなく、等しく重要なはずですよね。
でも聖書を(よくたとえられるように)「神から私への手紙」と考えれば、友人からの手紙でも「こういうことを気にとめるのはあの人らしい」「こういう言い方って、あの人の性格だな」というのは普通にあることだし、「え、この一文は何を言いたいの?聞いてみなきゃ」と思うこともある一方で「ああ、この一文はいいなぁ」と思うこともあるでしょう。

私の場合、聖書の中で一番「美しい場面」だなぁと思う箇所は、イサクがリベカと初めて会う創世記24章です。夕方、東からラケルがやってくると、大草原に沈むでっかい夕陽をバックに、逆光の中に壮年イサクのシルエットが浮かんでいる。イサクから見たラケルは(たぶんラクダの上で)、ベールごしにも「際立って美しかった」花嫁が正面から夕陽をあびて、アブラハムのしもべ贈られた装身具がキラキラと輝いている。
これは私の脳内だけにある、二枚で一対の聖画なんです。

ただ、これが一番好きな聖書箇所かというとそうではないのです。
昨日、「聖書を読む会」では使徒言行録を9章から14章まで読んだのですが、その中の11章前半が、何度読んでも感動してしまうのです。
異邦人でも割礼をうければ過越しに与れるとはいえ、「異邦人も神の言葉(福音)を受け入れたこと」を耳にした使徒や信徒は、ペトロがコルネリウスら無割礼の異邦人と交わったことでペトロを弾劾する。しかしペトロの証言から神意を知った彼らは。。。
18節を私なりに意訳(ギリシャ語からではなく新共同訳からですが)するなら、「それでは、」のところは、「そ、そうだったのかぁぁぁっっっ!!!」としたいところです。18節最後の「神を賛美した」は、それまでありえないと思い込んでしまっていたことを神が解かれた驚きからものすごい大爆発だっただろう、そう思うと何十回読んでも目頭がジーンとしてしまう。
福音の伝播をピーター・ツカヒラ師は「神の津波」と呼んでいますが、この大爆発の波紋として東の果て日本にまで福音が届いたのだなと私も思うのです。
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