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クリスチャンの女性蔑視

某所である牧師さんから、こんな話を聞きました。
「配偶者の呼び方としてベストな表現は『おつれあい』なのだそうで、妻は『つまらない者』、奥さんは『奥にいる者』、家内は『家の中にいる者』など蔑視の表現だそうだ。ある神学校ではみんなそうしているのだそうだ」

そういう日本語に不自由な人たちが、その神学校を巣立つと、日本で日本語を使って日本人に宣教するのだなと思うと、なんというか、1%の壁を越えられない理由のひとつを見たような気がしてしまいます。

いくらていねいに「お」の字をあたまにつけても、「連れ合い」とは「主たる者」がいることを前提とした「従たる者」を表す言葉でしかないでしょうに。蔑視というなら、「おつれあい」は配偶者に主体性を認めていない蔑視表現でしょう。

「妻」が「つまらない者」だというのも、ベタなダジャレです。古典の授業をまともにうけた人なら、「夫」も「つま」と読むくらいは知ってると思うのだけど。
…などと強気なことを言いましたが、念のため、高校時代に買った三省堂の「例解古語辞典」を引いてみました。
つま【夫・妻】配偶者。
[用例](b)「ただ独【ひと】り い渡らす児【こ】は若草のつまかあるらむ」[万葉九・一七四二]
[要説]男に対しては妻、女に対しては夫が「つま」である。
用例bの解説として「河内の大橋を独り行く少女【おとめ】を見る歌」と題詞があることが書かれていました。私訳を試みるなら「ひとりで橋を渡っていくあの娘は夫【つま】のある身だろうか」というところでしょうか。
ちなみにすぐそばに「つまごひ【妻恋ひ】」という項目もありました。こちらは妻という字があてられているというのに、意味は「夫婦が互いに相手を恋い慕うこと」とあります。
あ、念のためですが定価1400円の古語辞典で、進学校でもなんでもない偏差値50切るかというくらいの公立校出身ですので。

「刺身のつま」などの表現から「つまらない」というベタな連想をしたのかもしれません。たしかにあれも漢字で書くなら「妻」です。ただし手元の国語辞書では「一般にかなで書く」とありますけど。
それに刺身のつまというのはむしろ「それがないとどうにも格好がつかない、おさまりが悪い、なくてはないパートナー」としての「つま」でしょう。薬味しかり、大根もその消化を助ける酵素があるからこそのつまです。
なんか、「配偶者をつまと呼ぶのはけしからん」というのは「男を助ける者として女をつくった神はけしからん」というのと同じに聞こえます。神は女を「あってもなくても同じつまらないもの」として男に与えたのではなく、なくてはならない助け手として与えたのだと思っていたのですが、この聖書理解はおかしいですか?

「奥さん」という呼び方のはじまりは調べていません。調べようとも思わないくらい、なぜ「奥にいる者」がなぜいけないのかが理解できません。
ビジネスマナーの本やサイトを見てみてください。どれだって、入口からみて一番奥が一番の上座です。大事なものほど奥に置かれるのではないでしょうか。「神の箱」などはかなり奥におかれましたよね、幕屋や神殿の中の、聖所の中の、至聖所という。もしかして、配偶者を奥と呼ぶのは神格化だからいけないということでしょうか。
奥がダメだとすると「嫁」という字はすばらしいですね。女は家の外にいろとばかり、屋根の下にもいれないくらい独立させています。

「家内」がダメということは「平安」もダメということですね。だって「安」の字は屋根の下に女という字形ですから(う冠は家を現します)。
ちょっとググっただけも「なんとか平教会」というのがたくさん見つかりますが、そうした教会は女性蔑視をおおやけにしているのだから「なんとか平あん教会に改名しろ、ということなのでしょう。
(ところで、新改訳などでは「平安」と訳されていた箇所が新共同訳では「平和」になったのは、「安」の字を忌避したものでしょうか。もしそうなら、ある意味立派なものです。)

「家内」や「安」に比べても、屋根の下ではなく家の外に女がいる「嫁」という字はすばらしいということになりますね。どこかで「嫁という字は女性蔑視」という話を聞いたような気がするのだけど、、、きっと気のせいですね。

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