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メリークリスマス

今日はカトリック五井教会のクリスマスミサに出席しました。

今年のクリスマス、
23日は日本同盟基督教団のクリスマス礼拝。
24日は日本バプテスト連盟のキャンドルライト礼拝、
今日25日はカトリックのクリスマスミサ。
ちょっと贅沢というか、欲張ったかな?

神社さんだったら「あっちの神様、こっちの神様」というのは叱られるかな。某芸人の「芸能の神様のお守りを5つ持ってますが、見てのとおり(ご利益さっぱり)です」という自虐ネタを見るたびに、そんな浮気者はどの神様も扱いかねるのではと思います。
その点、キリスト教はどの宗派の教会に行っても同じ神様を礼拝してるので問題ないのです。

とはいっても、長い歴史のなかでそれぞれの宗派それぞれの教会が大切にしてきたことや考え方の違いというものもあります。
たとえば聖体拝領(聖餐式)はどの宗派でも大切ですが、パンとぶどう酒の考え方がカトリックとプロテスタントではすごく違うので、ぼくらプロテスタントはカトリックで聖体拝領に与ることはできません。
プロテスタントでは「どの宗派の教会ででも御父と御子と聖霊との名による洗礼を受けていれば同じキリスト教徒」なのだけど、そこはやはりカトリックが大切にしているものにずかずか踏み込むべきではないのでしょう。

プロテスタントには「カトリックが間違えた部分を宗教改革したのが自分たち」という自負があるように感じます。
ただ、プロテスタントが決別したり無くしたり捨てたり忘れたりしたもの、つまりプロテスタントがカトリックから別れるときに置いてきたものの中に、よいもの大切なものがまだたくさんあると思うのです。

たとえば礼拝の場としての教会。
プロテスタントでは「教会とは建物のことではない。信者が集まればそこがすでに教会なのだ」と考えるし、聖書にもそう書いてあるから正しい。それでプロテスタントは、普通の民家や貸し会議室でも「教会」と看板を出して礼拝したり布教したりできる。
でもカトリックの聖堂は、「偉大な神を人間が礼拝する場として、どうあるのがよいのだろう」ということを長い歴史のなかで積み重ねてきたものなんじゃないだろうかと思うのです。
プロテスタントの考えるとおり確かにステンドグラスや鐘楼は必要ないものだけど、でも人が神の前に立つ場として、一歩踏み入れただけで敬虔な気持ちにさせるこの(言葉はよくないかもですが)舞台装置としての聖堂は、「正しいか」「必要か」という以前に「よいもの」だと思うのです。

ま、隣の芝生的にカトリックを見ているところがぼくにはあると思うのだけど、それも踏まえた上で、カトリックから学べることはたくさんあるように感じます
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