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天皇誕生日だから

今日(すでに昨日か)は12月23日でした。
各国でもっとも重要な日をNational Day(国家記念日)と呼びますが、日本のNational Dayは12月23日になっています。
もちろん、天皇誕生日です。(ちなみに、独立や建国や革命など「戦争に勝った記念日」をNational Dayにしている国がかなり多いです)

天皇誕生日というのは、今上天皇の誕生日だから休日なわけで、今年も皇居へ一般参賀に行ってきました。
…日本のクリスチャンには「天皇制反対」っていう人が多いんですけど。
ただ私の場合は、「神が私を日本人として創造した上でクリスチャンにしたというなら、その意味は?」と考えてきた結果、「日本人クリスチャンたる私は皇統を言祝ぐべきだし、そうしたい」と思うようになってきました。(あくまで私個人について書いているのであって、天皇制反対というクリスチャンについてここでどうこう言うつもりはありません)

そんなわけで、天皇誕生日が日曜日に重ならない限り、一般参賀に行って、かのヤコブがファラオを祝福したように、両陛下と皇族方を祝福し皇統の長からんことを祈るのが毎年のこととなっています。
(日曜に重なったときには、教会で皇室のための祈りをささげています)

それにしても毎年、年の暮れも近いというのにこの日はコートが邪魔なくらい穏やかな日になります。
天皇陛下のみいつ、と言っては神格化になってしまいますが、この天長節の日が祝福されているのかもと思いたくなります。

参賀の祝意に応えての陛下の御言葉はニュースサイトなどに全文が掲載されていますが、その中に「苦労の多い日々を過ごした人も多いのではないかと案じています」と、今年も国民の苦労を案じる言葉が含まれていました。

数年前、まだ陛下がメモを見ずに御言葉を語られていた年のことですが、陛下は御言葉の途中でちょっと詰まってしまわれて、「(国民に)苦しみが」など何度か言い直しになったあとで「苦労が」と御言葉を続けられたことがありました。
辞書で「苦労」を調べると「苦しい思いをすること」と書かれているので、意味としては「苦しみ」と「苦労」どちらでもかまわないだろうと思います。
それでも「苦労」という言葉、「労」の字が入るほうに陛下がこだわられたのだとしたら、それはなぜなのだろう。

「労」は訓読みすると「いたわる・ねぎらう」なんですね。
まったくの想像ですけど、ただ「苦しい思い」をするだけでなく、そこでいたわりあいねぎらいあう国民に陛下も心を添わせたいと思っておられる、そういうお気持ちが表れているのではないかなぁと思うのです。
仁徳天皇が民草のかまどの煙さえも気遣っていたという故事のように。

陛下の御言葉の前後、つまり両陛下(と皇太子同妃両殿下と秋篠宮同妃両殿下)のお出ましのときと、御退出のとき、宮殿前広場は「天皇陛下、万歳」「万歳」の声が繰り返されました。
まるで練習したかのように、誰かが「天皇陛下、万歳」というのにあわせて周囲が「万歳」。
それが三唱されるとまた他の誰かが「天皇陛下、万歳」といい、それにあわせて周囲が「万歳」。

例年だと「万歳」とか「天皇陛下万歳」だけでなく「おめでとうございます」とか「お誕生日おめでとうございます」といった声も上がっていたのですが。私がいたあたりだけなのか。
実はどうも照れというかなんというか、この万歳に唱和するのだけは私は苦手で。
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