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けがれ屋

時は、今の暦でいえば西暦30年頃。西暦などという暦が登場するよりはるか昔である。
ひとりの若いユダヤ人が、のちにパレスチナと呼ばれ地を歩いていた。「死の影の谷」での気の進まない仕事を終え、「レビ人の町」へと帰るところだった。


…こんな書き出しになるかな、と思っています。メルマガ「聖書を読んでみよう」でレビ記を扱った頃から構想しはじめた小説です。
登場したのは、ストーリーテラーとなる若手の祭司。このあと彼が出会う、「けがれ屋」の看板を掲げる男が主人公になります。

日本人が「お清め」を気にするのにも似て、けがれるということを徹底的に忌避することが聖書では求められています。もしこれを厳密に守ろうとしたら生活に支障がでるのではと思うくらいです。

そこで、律法が許す範囲内ではあるけれど人々が忌避する事柄を引き受けるというキャラクターを思い付いたわけです。
たとえば「これこれのケースでは、日が暮れるまでけがれる」といったものが多いですが、時限的とわかっててもいやなものはいやなんじゃないかなと。そこをお手伝いする、今でいう便利屋みたいな商売。

ある牧師さんに雑談ついでに相談したところ、けがれと言っても日本でいえば「葬式から帰ったら塩をふって清める」という程度のものだから、商売として成り立つかは難しいだろうけれど、そういう人物がいてイエス様と出会ったらどうなるんだろう、と面白がってくれました。
確かに、実際にはそういう職業がいたとは聞きませんから、それほど需要はなかったのでしょう。そこはフィクションと割りきって、考えてみようと思ってます。

他にも、ダビデがサウル軍の隊長になってからずっと仕えた家来の目線から何か物語がつくれないかとか、いろいろ構想だけはあるのですが、中でもけがれ屋は暖めてきたものがそろそろ熟してきた気がしています。問題は、そんな話をかけるだけ勉強できてるかどうか。
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