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詩編23

この日曜日、バプ連盟「聖書教育」誌のカリキュラムは詩編23でした。

聖書でも有名な箇所のひとつ、とりわけ、詩編といえば23というくらいの箇所。注解書でも調べればこってりと情報を得られると思いますけど、ここではそうしたものを開かず感じたことだけ書きます。

詩編23は私にとって、覚えている限り人生最初の暗唱聖句です。こどもさんびかの交読文を、教会立幼稚園でみんなで暗唱しました。
その交読文が4節前半までだったせいか「この詩は、主のもとに憩う平安の中にいる詩人が詠んだのだろう」と漠然と思っていました。

でもそれなら、後半の緊迫感はどう読んだらいいのでしょうか。

この日曜の静聴(大人のCS)では、二つの詩が編集された可能性をいう解釈もあると紹介されていました。
それはトンデモ説に思えますが、でも果たして詩人は、平安の中にいて「仮に敵と対峙しても」と詠んだのか?

逆なんじゃないかという気がしてきました。
実は詩人は、敵に囲まれた四面楚歌な危機の中にいて、「だけど主が牧者だから」と信頼を詠ったのではないか、と。

そうとしか思えなくなってきたのですが、だとするとこれはまったくダビデらしくない気がします。勝手な印象ですけど、ダビデならピンチの時は、どストレートに天祐を請い求める歌を歌うのではと思うのですが。
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