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調弘道牧師から学んだこと

長いこと「神様は、強い人を牧師にするのだろうか。牧師にした人を強くするのだろうか」という疑問を持っていました。
私が知っている牧師さんはみんな、強弱で言えば「強」でしたし、またそうでなければああいうタフな仕事はできないと思ってましたから。

過去形でいうのは、故・調弘道【しらべ ひろみち】牧師を知る前はそう思っていたということです。
(この「お世話になった牧師さん」シリーズ初の日本バプテスト連盟の牧師さん登場)

失礼な言い方かと思いますが、人間の強弱でいえばこの方は「弱」だったと思います。
と言っても、牧師を生涯の職とすることを選べるという自体がハンパではないことです。それでも、私が知っている牧師さんたちから共通して感じるような強さは、調師からはあまり感じませんでした。

たとえば、日曜ごとに講壇に立つ仕事とは思えないくらい、何と言うか、恥ずかしがりな方でした。
教会の近隣にトラクトを配るのにも、恥ずかしいからと早朝に行う方でした。
こういう、苦手なことをどうやったらできるかと考えるような牧師がいると、「私にはそういう奉仕は無理です」とは言いにくくなって、困るというか何というか。

調師の礼拝メッセージはいつも、本当に絞り出すような語り方でした。
時には迫力ある語り方をされることもありましたが、そういう時に逆に違和感のようなものを感じるほど、普段は「全力を振り絞ってやっとここにたどりついた」という感じで。
そういう語り方だからこそ忘れられないメッセージがあります。イースターの翌週くらいの礼拝で「主の墓に向かって女たちがとぼとぼと歩くその先に、主が立っておられた。私たちの力ない歩みの先に、主がいてくださる」というものでした。
もし他の「強」な牧師の説教だったら、こんなに私の中に残らなかったと思いますが、今でも自分の弱さに直面した時はあの何年も前のメッセージが思い出されて「大丈夫、主がおられる」と思えるのです。

ところで調師はまた、どう動くか読めない方という印象がありました。エピソードはいろいろあるのですが、中でも一番、これは度肝を抜かれたと言いたいくらい予想外の動きをされたのは、ある年のクリスマス礼拝のことです。
CSの子供たちが礼拝の中で降誕劇を奉献し、そのあとに調師がいつもの日曜のとおりメッセージのために講壇に上がりました。ところが調師は「降誕劇に感動しました。今日はこれで十分です。説教にまさる降誕劇でした」というようなことだけ言って、講壇を降りてしまったのです。

これは賛否が分かれると思います。(実際にあとで批判的意見も出されたと聞きました)
でも調師くらい経験がある牧師さんなら、いくらでもやりようはあったはずだと思うのです。なのにそれでも、あのようになさったというのは、逆に勇気がいるかもと思います。
もしかすると、語るべきことを示してくださるという聖霊様が、調師に「今日の礼拝はこれで十分ではないか」と示されたのかもしれません。とにかく、礼拝とは?説教とは?ということを考えさせられたできごとでした。
(同時に、CS奉仕者としての私には、礼拝での降誕劇は「出し物の発表会」ではない、仮にも礼拝の中で何かするということはあだやおろそかにできないのだ、ということをあらためて教えられたという思いもあります。)

そんなわけで、最初のあの二択の疑問は最初から間違っていたわけです。強い人を牧師にすることも、牧師にした人を強くすることも、弱い人を弱いまま用いることも、神様は自由になさるのでしょう。

これだけ書いてから言うのもなんですが、人を強弱で評するような考え方自体やはり失礼かもしれません。私自身が弱だから、調師を見ていると、というか調師を用いられた神様を思うと、「弱だというのは言い訳にできないのか」という気にさせられた、ということを言いたかっただけです。

ただ、「弱」だと感じる一方で、調師から何度かお手紙をいただいたのですがそれらはとても力強いものでした。
使徒パウロは「文章は素晴らしいけど、会ってみると」というタイプだったようですが、もしかすると調師もパウロ型だったのかもしれません。

主は、あまりにも早く突然に先生を召してしまいました。許されることならもっとゆっくりたくさん語りあいたかったと思う方です。
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コメント

感謝!
調弘道牧師のことがブログに登場して、今日は嬉しい日です。私が神学校入学準備の頃、当時、神学生だった調先輩が、ある日、訪ねてくださいました。とても励ましをいただきました!
コメントありがとうございます
コメントありがとうございます。

調牧師のお若い頃をご存知なのですね。
私は調師が天に召される直前の短い間しか存じ上げなくて、本当にもっと長く先生に教えていただきたかったと思います。

主の思いを推察することが人の身に許されるなら、調師はきっと「忠実なしもべよ、よくやった」とのお言葉をいただいただろうな、そうであってほしいな、と思っています。

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