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S本牧師から学んだこと

また日本同盟キリスト教団の牧師さんですが。
S本先生にお世話になったのはもう十年以上も前になります。この先生から教えられた一番のことは「と書いてある主義」だったと思ってます。
ある日曜日の礼拝説教。確か説教題も「と書いてある」だったような。言うまでもなく、主がサタンの挑戦を旧約聖書からの引用によって退けた箇所から説かれたものです。

こういう、それまでに何度も読んだはずの聖書箇所なのにある日ある時に強く響くというのは、よくあると言えばよくあるのですけど、なぜだろうと思ってしまいます。しかもこの時の「聖書にこう書いてある」は、基本中の基本のはずなのに。

理屈屋の私にはもともと、S本牧師の緻密に論理を組み上げる説教があっていた、ということはあると思います。でもS本師の説教の毎回ではなくてこの時のが強烈に、なのです。
S本牧師ご自身にとっても、何千回かの説教の中の一回だったかもしれません。(だからといってその一回たりとも絶対におろそかにはしない、あえて悪く言えば度が過ぎるくらい説教準備に力を入れる牧師さんでしたけど。)

言霊【ことだま】とでもいうような作用が、「と書いてある主義」という簡潔明瞭かつ根本的な一言にあったような気がしています。
キリスト教的でない言い方かもしれませんね。もしもS本師にこのBLOGを見つかったら叱られるかも。
キリスト教的には、「人々の聞く力に従って」語られる主の霊がこのとき私の耳に働いてくださった、ということになるのでしょう。頭ではそう理解できるのだけれど、感覚ではどうも言霊と言いたくなるような、言葉そのものが持つ力がガツンときた気がしてしまいます。

宗教というものはいろいろな表現によって伝えられていくものですし、また表現によらずただ信仰者の人となりによっても伝わるものですが、言葉という表現方法の持つ力はやはり大きいですね。「あの人のあの時のあの一言が」という経験が私も多いですし。そういう意味では私も、言葉を吟味して使わなきゃとはおもいます(でも考えもせずに反射的に言葉を使ってしまうことが多いんだよなぁ)
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