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牧師から学んだこと

キリスト教の牧師さんというのは、特にエライというわけではありません。
というと語弊がありますけど、少なくとも「聖職」ではない。牧師というのはだいたいプロテスタントでの呼び方だと思いますが、そのプロテスタントではだいたい「聖なる存在とは神のみ」ということで「聖人」という概念さもない教会が多いです。(聖書や讃美歌で、クリスチャンを「聖徒」と呼んでるのはどーなんだ、というのは今はつっこまないでと。)

とは言っても、です。

人は、自分で(キリスト教の)神を見いだすことは、ないことではないけれどそうそうあることではありません。誰かから教えられることがほとんど。
でもって、教えてくれる人を師と呼ぶのは日本人の自然な感覚で、それはクリスチャンでもかわらないわけで。だからキリスト自身が聖書で「あなたがたは先生と呼ばれてはならない」と教えているのに「牧師」と呼ぶし、丁寧に「牧師先生」と重ね言葉を使ったりもする。この辺りはもう文化なので、聖書に反するなどととやかく言うことではないだろうと思います。
私はあるクリスチャンの集まりで韓国の方(しかも私より年長)から「先生」と呼ばれて、私は牧師ではないですと言ったところ、韓国では「先生」は普通の敬称のような感覚でも使えるのだと教わりました。

例によって前置きが脱線してますが、そんなこんなで私も、キリストに倣うというのとは別に、敬愛する牧師先生たちがいます。そうした方々を教祖様にしているわけでも、「地上における神の代理人」扱いしてるわけでもないのですが、でもってそんなに大勢の方を知ってるわけでもないし、それに人物評する立場でもなければその気もないのですが、「こんな牧師からこんなことを教えられた」というところを書きたいと思います。
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