ヒーロー
先日NHKでウルトラマンと仮面ライダーの歌についての番組をやっていたので、子供たちからチャンネル権を奪ってノリまくって歌いながら見ていました。
そうしたらウルトラマンレオのところで次男が「レオレオってうるさい!」と。確かにこの歌は、ヒーローの名を思い切り連呼しますからね。
ん?待てよ?
ヒーロー番組の主題歌で主人公の名を連呼するのって、私には当たり前なのだけど?
あれ?そういえば…
「○ちゃんにとって、テレビのヒーローって誰?」
と聞いてみました。
するとやっぱり、「わかんない」と。
やっぱり、というのは、たとえばスーパー戦隊はなぜか我が家では見ません(タイムレンジャーはとーちゃんは見てたけど)。
仮面ライダーWはとーちゃんしか見ない。日曜のその時間、我が家ではポケモンサンデーだし。
あとうちの子が好きなのはイナズマイレブンとかカテキョー リボーンとか、「すごい登場人物」はいても、「正義の味方」という意味でのヒーローは見当たらないものばかりな気が。
いいか悪いかということではないかもしれない。
単純な勧善懲悪でウケる時代ではないかもだし。フィクションの世界に 限らず、スポーツなどでもヒーローが「消費」される時代だし。
ただ、私の世代なんかだと、マジンガーZあたりからキン肉マンなどまで、ヒーローはたくさんいました。そうしたなかから、この年になっても、レオの「誰かが立たねばならぬ時」とか、「キャシャーンがやらねば誰がやる」なんて言葉で自分に発破かけたりとか。
それに、ヒーロー像というものがあるからこそ、アンチヒーローって言うんでしょうかルパン三世やゴルゴ13みたいな反社会的だったり破壊的だったりするキャラクターたちも、強い印象を持つのかも。
大袈裟に考えることでない気もしますし、探せば深く考察しているものもあるのでしょう。
ただ、がんばってがんばって戦い抜き守り抜くヒーローをハートに持っているかどうかは、何かが違ってきそうな気がするのです。
(ここで「そしてキリストが究極のヒーロー」なんて言うのは、いかにも取って付けた感じになってしまいますね。)
そうしたらウルトラマンレオのところで次男が「レオレオってうるさい!」と。確かにこの歌は、ヒーローの名を思い切り連呼しますからね。
ん?待てよ?
ヒーロー番組の主題歌で主人公の名を連呼するのって、私には当たり前なのだけど?
あれ?そういえば…
「○ちゃんにとって、テレビのヒーローって誰?」
と聞いてみました。
するとやっぱり、「わかんない」と。
やっぱり、というのは、たとえばスーパー戦隊はなぜか我が家では見ません(タイムレンジャーはとーちゃんは見てたけど)。
仮面ライダーWはとーちゃんしか見ない。日曜のその時間、我が家ではポケモンサンデーだし。
あとうちの子が好きなのはイナズマイレブンとかカテキョー リボーンとか、「すごい登場人物」はいても、「正義の味方」という意味でのヒーローは見当たらないものばかりな気が。
いいか悪いかということではないかもしれない。
単純な勧善懲悪でウケる時代ではないかもだし。フィクションの世界に 限らず、スポーツなどでもヒーローが「消費」される時代だし。
ただ、私の世代なんかだと、マジンガーZあたりからキン肉マンなどまで、ヒーローはたくさんいました。そうしたなかから、この年になっても、レオの「誰かが立たねばならぬ時」とか、「キャシャーンがやらねば誰がやる」なんて言葉で自分に発破かけたりとか。
それに、ヒーロー像というものがあるからこそ、アンチヒーローって言うんでしょうかルパン三世やゴルゴ13みたいな反社会的だったり破壊的だったりするキャラクターたちも、強い印象を持つのかも。
大袈裟に考えることでない気もしますし、探せば深く考察しているものもあるのでしょう。
ただ、がんばってがんばって戦い抜き守り抜くヒーローをハートに持っているかどうかは、何かが違ってきそうな気がするのです。
(ここで「そしてキリストが究極のヒーロー」なんて言うのは、いかにも取って付けた感じになってしまいますね。)
スポンサーサイト
この記事のトラックバックURL
http://areopagus.blog65.fc2.com/tb.php/108-609489da
コメント
- 私は子どもが生まれてから逆に日曜の朝なんか忙しくて特撮番組を見られなくなってしまったのですが、最近は「正義のヒーロー」というキャラクターはなくなってきましたね。ヒーローが、悪の面も持っていたり、別に正義のために戦っているわけじゃなかったり、敵も完全な悪じゃなくて、結果ヒーローの正義も相対的になってたり。よりリアルになっているんだと思います。あと、アメリカ同時多発テロ~イラク戦争があってから、「絶対的な正義」「正義対悪の戦い」というものを人々が信じなくなり、敬遠している傾向が見られます。
実写番「セーラームーン」の最終回でセーラームーンが地球を滅ぼしたのにはさすがに驚いた(笑)。ちなみにあの番組のセーラーマーズ役でデビューした北川景子が今すごい売れ出しましたね。
- コメントありがとうございます
- リアルには「絶対の正義」というのは難しいかもと思います。「絶対の悪」がなかなか存在しないから。
ヨーロッパの移民排斥とか、イスラム教に対する侮辱とか。
米国指導者が、支持率が落ちると軍を送り込むべき悪を探すこととか。
中共が露骨なほどに、国内支配がゆらぐほど反日教育に力を入れ反日博物館を増設することとか。
悪者はというのは誰かの都合というか必要によって悪とされるだけじゃないか、と思えます。
だったらなおさら、フィクションの世界だからこそ「絶対の悪」を生み出せるのでは。
そうすれば、その魔手からみんなを守る「絶対の正義」も存在できるのでは。
という気もするのです。
リアルの世界に絶望した作り手(大人)があきらめすぎなんじゃないか、同じようにあきらめている「子供番組を見ている大人」ばかりターゲットにしてるのでは、と。
単純明快なストーリーでいいじゃん。
子供だましでいいじゃん。
問答無用な絶対の悪から、みんなを、あるいはたったひとりのだれかを守るために、我が身が傷つきながらも戦う。そんなヒーローが、むしろ必要なのではとも思います。
「命が宝」という美しい言葉で「大切なのは『自分の』命」「『私は』大切にされる権利がある」しか教えない時代だからこそ、他人のために損する美学を教えてくれるヒーローが欲しいと思うのだけど。
(文章で書くと、どんどん大げさになっていくような。。。)