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サムエル記3章

先週ようやく、本当にようやく、サムエル記の続きをメールマガジンで配信し、今日Webサイトに公開しました。応援メールをくださった方、ありがとうございました。
サムエル記一3章~4章1

ところで、最終的にはメルマガとWEBの両方からカットしたのですが、今回参考にしたある注解書で引用されていたタルムードの一節が興味深いものでした。

ラビ・アキバが死んだ日に、ラビが生まれた。
ラビが死んだ日に、ラブ・イェフダが生まれた。
ラブ・イェフダが死んだ日に、ラバが生まれた。
ラバが死んだ日に、ラブ・アシが生まれた。
これはあなたに、義人は他の等しい義人が生まれるまではこの世を去ることはないことを教える。「日は昇り、日は沈む」(コヘレト書1章5)と言われるとおりである。エリの太陽はサムエルの太陽が昇るまでは沈まなかった。「神のともし火はまだ消えていず、サムエルは寝ていた」と言われるとおりである。

チベット仏教におけるダライ・ラマの継承のような考え方ですね。

これはあくまでも、あるラビの解釈で(「タルムード」は「研究」という意味)、聖書の言葉としてこうあるというものではありません。
ただ、エリが肉体も老い、祭司職を継がせなければならない息子たちの教育にも失敗し、という心身ともに打ちのめされたような状態で、それでもヤハウェはエリ自身の命を取り上げたり祭司職を取り上げたりはしなかった。それはもしかしたら、サムエルを訓練し育てるという役目のためだったのかなと思いました。

「義人は他の等しい義人が生まれるまでは」ということでは、エリがサムエルほどの義人かは意見が分かれると思います。ただ、祭司エリから預言者サムエルへ何らかのバトンが渡されたとは言えるのではないでしょうか。そして同じようにバトンが渡されたのが、ルカ福音書2章22以下のシメオン翁とキリストではないかと思うのです。

福音書をまとめたルカ自身も、シメオンがキリストであるイェスと「等しい義人」とは考えなかっただろうと思います。それでもシメオンについて[この人は正しい人で信仰があつく、イスラエルの慰められるのを待ち望み、聖霊が彼にとどまっていた。]と高く評価しています。
このシメオンは[主がつかわすメシア【キリスト】に会うまでは決して死なない]との神託を受けていて、実際におさなごイェスに会ったときに歓喜の賛美を叫んだわけです。あのシメオンの賛美に、「預かっていたバトンを次の(そしてアンカーである)選手に渡せた」という喜びを見出そうとするのは、深読みしすぎでしょうか。

念のためですが、上記の引用はタルムード、つまり口伝律法にラビたちが詳細な解説を付したものです。
タルムードは「ユダヤ教の聖典」と紹介されることもありますが、ユダヤ教では(そしてキリスト教でも)聖典とは「神の言葉」で、人間であるラビが付した解説を含むタルムードは、重要な書物ではあっても「聖典」としての権威は認めない(ラビの権威は認めるとしても)というユダヤ教の宗派も少なくないそうです。

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