スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

礼拝音楽についてのちょっと悶々とした何か

浮気性というつもりもないのですが結果的に、あちこちの教会にやっかいになっています。

そうした中のある教会では、礼拝の前奏の時に「前奏のうちに礼拝へのそなえを」というアナウンスがあります。
礼拝へのそなえということは、その時点ではまだ礼拝ではないということになりそうですが、その教会ではこのアナウンスと前奏は礼拝開始の定刻後にあるのです。
考えてみると何かヘンなような、でも目くじら立てて是正を求めるほどでもないような。

ある教会では、司会者にもよりますが、特に説教前の賛美の時に「神様に心を向けましょう/向けるために」ということが言われます。
ということは、その時点では向いてないから(少なくとも十分には)ということになると思うのですが、だとするとその状態で歌うのは賛美していることになるのでしょうか。
プログラムに賛美と書いてあるタイミングで、賛美歌集に載っている歌を歌えば、神様に心が(まだ十分には)向いていなくても賛美になるのかな、とも思うのですが、でも目くじら立てて是正を求めることでもないような。

ある教会のCSの礼拝では、子供たちにとってはじめてという曲で賛美することがあります。で、司会者(大人)にもよりますが、礼拝中に「一回、練習で歌ってみましょう」ということになる時があります。
礼拝って、最初から最後まで主に捧げられているいわば本番なのでは?という気がするのですが、でも目くじら立てて是正を求めるほどでもないような。

それをいったら「神を賛美する歌」以外の歌も、一般的な賛美歌集には多いわけで。
感謝の歌や祈り求める歌は神に向かって歌うものだから、賛美はしていなくても礼拝で用いていいのかも。
でも証や伝道の歌になると、これはもう神に向かってではなく人に向かって歌っているんじゃないだろうかとか。

たとえば私が育ったCSでずっと礼拝の最後に歌っていた「世をこぞりて」は、これを賛美として神様にささげるというのは考えてみるとおかしいような。
神様にむかって「ほめたたえよ、みさかえつきせぬ天つ神を」というのはつまり、「神様、自画自賛してください」ということになってしまうんじゃ?
(いや「世をこぞりて」と人々に向かって言っているのだ、とも思うのですが、「礼拝の中で」「賛美として」だと逆に人々を神格化しているような??)

考えるほどわからなくなってしまうのです。
スポンサーサイト

金がかかっても政府専用機は必要

日本政府が政府専用機の整備を委託している日本航空で、現在のボーイング747-400の整備が困難になるため、あと10年は使えるという機体が数年以内に退役となりそうだとのこと。
mainichi.jp

現在の機体は、そのむかし米国の対日貿易赤字を減らすために購入したというから、おそらくは購入価格やその後の維持費などは度外視されていたことでしょう。まだ10年は使えるというのに、流行りの言葉でいえばもったいない話ですが、古いブツの維持が現実的でないというならそれはそれで仕方ない。

それよりも、上記記事に『財政状況が厳しい中「民間機をチャーターすべきだ」との意見も』とあるのは、それは絶対にダメです。

記事中に『政府関係者は「先進国は全て政府専用機を持っている」と説明する。』とあります。確かに、見栄ということではこれは対外的に見栄を張りたい分野です。
でもそれだけじゃないんです。

民間航空会社なんてイザって時にアテにならないことは、イラン・イラク戦争のときに日本中が思い知ったんじゃなかったでしょうか?

1985年3月17日、イラクのフセインが、48時間の猶予期限後はイラン上空を飛ぶ全ての航空機を攻撃すると宣言。各国ともこの期限以前に自国民を脱出させようと飛行機を飛ばしました。
でも日本政府は国内航空各社から「そんな危ねーとこ飛べるか」と断られ、私たちは現地の200人を超える日本人を見捨てるしかなくなりました。
私たちは現地の日本人に「赤ん坊を抱えた家族だろうとも、都市に対する爆撃も絶え間ない陸路を自力で横断して国境まで脱出してくれ」と言うしかなくなったのです。

幸いあのときは、何の見返りもなしにトルコ政府が邦人救出に飛んでくれました。そのかわりにイランにいたトルコ国民(約500人と言われます)が隣国とはいえ陸路を車で脱出することになってまで。それは現地大使の人脈と、何よりトルコ国民の(エルトゥールル号事件以来の)親日感情のおかげであって、日本には日本人を見捨てる航空会社のほかには、何も手段がなかったのです。

喉元すぎれば熱さ忘れる、なのでしょうか。
これもまた平和ボケの一環なのでしょうか。

今からでもいい。
航空自衛隊で維持運用となれば民間よりコストがかかるでしょうけれど、それでもいい。
いざって時に、民間に左右されないで飛べる政府専用機を!

救世軍

仕事帰り、渋谷駅まで歩いてきたとき、イヤホンの隙間からかすかに聞き覚えのあるメロディが。

すぐにイヤホンをはずした。
それでもまだかすかな曲。

いつもストリートミュージシャンが立つあたりには誰もいない。
っていうか、そういう種類の音楽じゃない。
古い賛美歌だ。なんだっけ。

さっき耳に入った部分を頭の中で増幅しながらリピートし、記憶を検索する。

確かに知ってる賛美歌。でもこういう場所で流されるような、クリスマス的なメジャーな曲じゃない。っていうかクリスマス商戦おわってるし。


「語り告げばや。」
頭のすみっこの方で検索にヒットした。そう、あれだ。
路傍伝道(クリスチャンたちがキリスト教を伝えるために街頭で語ったり歌ったりする)かな。でも選曲がちょっとイケてなさすぎじゃね?

「語り告げばや、世を去る日まで。語り告げばや、イェスの愛を」
私も大好きないい曲だけどさ。
と思いながら少し場所を移動したら。
救世軍の社会鍋だった。

そういや確か、となりの恵比寿に救世軍渋谷小隊があったっけ。
ああ、そうか。この人たちの、しかもこの活動には、ぴったりの選曲かも。

それにしても、社会鍋を見るのはずいぶん久しぶりな気がする。子供の頃は年末になるとよく新宿で見たけど。

社会鍋って、サザエさんの原作にも出てくるんだよな。キリスト教関係者の社会活動の中では、日本での認知度ということではもっとも受け入れられてるもののひとつかも。

ほんの小銭だけど、鍋の中へ。
子供の頃、親から小銭を渡されてトコトコと鍋に入れに行ったことを思い出した。

年末だなぁ。

今さらアリエッティ

ようやく「借りぐらしのアリエッティ」観に行きました。
夏前から長女と「観に行こう」と言ってたのが、延び延びになって。

ジブリは好きじゃなかったのだけど、何年か前に原作を読んでて、アニメ化の話を聞いた時に「ああ、あの物語はジブリと相性いいかも」と思ってたんです。
で、日本が舞台というとこに一抹の不安はあったけど、観てみたら、原作の感じをそこなわずにジブリのよさも出ていて、何年ぶりかで劇場に足を運んだ甲斐がありました。

しかしこれだったら、「ゲド戦記」も見てみたかったかも。あれは高校時代に原作にはまって、ジブリなんかにアニメ化してほしくないと思ったんだよな。
ユパ様みたいなゲドで、しかも日本の客(ハリポタくらいで盛り上がってるファンタジー初心者ばかり)をターゲットに制作されたらと思うと、ゾッとしたもの。
けど今日の「床下の小人」の感じなら、あれは先入観が過ぎたかもね。騙されたと思ってDVD借りてみるか。

「床下の小人たち」は、たまたま図書館で見かけた時に、中学生の時に仲良かった子が読んでた本だって思い出したんだよな。で、借りて読んでみたら面白かった。そんな、ほのかな思い出もあったり。
それはそれとして、なんかいかにも「続編に続く」な終わり方だっけし、アニメ化されたのは原作のほんのはじめだけだったし、続編希望。

第二の誕生日

今日が私の受洗記念日ということを思い出しました。
キリスト教の洗礼(バプテスマ)を受けた、つまりクリスチャンになった日です。

クリスチャンになることを新生(BornAgain)ともいいます。新しく生まれた日。クリスチャンには誕生日が年に二度あるのです。

昭和62年でした。
大学一年のことで、学籍番号が入学年度である62で始まってたから、昭和で考えたほうが早い。で、平成に1を足すとクリスチャン年齢になります。
つまり23才。

未熟者もいいとこですが、孔子いわく「三十にして立つ」と思えば、まだよちよち歩きなのも道理。

しかしこの一年はことに成長が遅いような気が。

実年齢の方も、とっくに不惑を越えたにしては。
古い讃美歌に「老いの坂をのぼりゆき、頭(かしら)の雪つもるとも」とありますが、老いというのは早いけど、頭の雪はなぜか積もってきて。

いや、まあいいか。

Template Designed by DW99

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。